世界の旬な出来事を語り、NK225と市場動向を午後3時過ぎ発表。
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写真は大阪府堺市の大鳥大社の銅像〕『ウィキペディア(Wikipedia)』より 日本神話最大の英雄〔ヤマトタケル〕古事記には「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と表記されている。 日本武尊は、日本神話の中でももっとも武力に優れた英雄のひとり。
父にうとまれ、西征・東征と次々に戦いの日々におわれ、望郷の思いむなしく遠征途中で没した。

生粋の神と違って人生の結末には死がある。
ギリシア神話の英雄のように半神半人(ギリシア神話の主神ゼスは大変な女好き、見かけた人間の美女のほとんどに子を産ませた。ギリシアの神々の多くが、ゼウスと人間との混血である)。  
日本武尊(倭建命)は、生まれ持つ神かがり的な力で古代日本国土を平定し、天皇家の国土の支配体制を固めた。

某IT企業経営者である友人の「閑話休題」今日は〔日本武尊〕

高校・大学の同級生の△△君と食事をしたときに、日本武尊の話をし、また聞きましたので、話題を提供します。 日本武尊(倭建命)を、大辞林で引くと、「景行天皇の皇子、古事記の構想では、神武の大和平定後、孝霊・崇神と引き継がれる国内における王化の拡大の歴史の完成者として位置づけられる。

西の熊襲討伐・東征などはその具体的活動」とあります。

1.日本武尊(倭建命)命名の古事来歴

<クマソタケルノミコトから命名された>小碓命(おうすのみこと:日本武尊)が、父景行天皇から、九州の熊襲(くまそ)を平定するように命じられた。

迎え撃つ、九州熊襲建(たける)兄弟は武勇に秀でており自分たちより強いものは居ないと信じていた。

果たして、小碓命は、熊襲建の兄を一気に斬り殺し、熊襲建の弟を背中から刀をさしたところ、弟は自分たち兄弟より強い者がいたことを知り、自分たちの「建」の名をもらってほしいと願う。そして、小碓命を倭建命(やまとたけるのみこと)と称えることにすると言って息をひきとった。(△△君の話から、文章はWebから引用)

2.日本武尊(倭建命)由来の地名

【静岡県焼津】 日本武尊(倭建命)が東国に向かう途中この地に入ったとき、当地の国造は彼をだまして沼地の野原に入らせて火をつけた。

体絶命になった日本武尊は、遠征に出立する際伊勢神宮の斎宮である叔母から託された袋を開き、中の草薙の剣で草を刈り払い、さらに火打石で向え火を起こして燃え盛る敵の火を退けられた。

窮地を脱したミコトは国造を斬り、辺りに火を放ってすっかり焼き払っておしまいになった。ゆえにこの地を名づけて「焼津」というようになった。

【千葉県 袖ケ浦】

日本武尊が相模国から東征のおり、走水((はしりみず:東京湾)を渡る際、暴風雨に遭遇し、そのとき妃の弟橘媛(オトタチバナヒメ)が海中に身を投じ、海神の怒りを鎮め尊の渡海を助けました。 弟橘媛は行方不明となりましたが、その妃の袖が流れついた海岸が「袖ヶ浦」だといわれます。

【千葉県 木更津】

日本武尊が東征の際、相模の走水から上総に渡ろうとしたときにわかに海が荒れ今にも船が転覆しそうになりました。 尊の妃・弟橘姫命は、尊を救うために海中に身を投じて龍神を慰めました。

お陰で怒とうはたちまち治まり無事上総に着く事が出来ました。  日本武尊は姫の最後を憐れみ、優しい心と美しい姿を偲び、しばらくここを去りかねました。 それで後年この地を「君不去(きみさらづ)」と名づけ、これがなまって「木更津」になったといわれます。

【千葉県 富津】

相模国(さがみのくに、現在の神奈川県)から上総(かずさ、現在の富津市、君津市、木更津市付近)に向かって、現在の三浦半島から房総半島へと、走水(東京湾)の海を船で渡ろうとしました。

けれども、海の神様が波を立てて船を進めなくなり、そこで、尊の妃・弟橘姫命が、「私がミコトにかわって海に入りましょう。 ミコトは命ぜられた任務をはたしてください」といって、菅(すげ)の畳8枚、皮の畳8枚、絹の畳8枚を波の上に敷いて、その上に乗り、姿を消しました。

やがて荒い波はしずまり、船が進めるようになりました。

弟橘姫命が海上に布を流して身を投じたので、その付近は「布流津(ふるつ)」といわれ、「ふるつ」がつまって「富津:ふっつ」になったそうです。

以上は、△△君の話や私が以前から知っていた話を、Webでご当地の観光案内や、お寺の案内から拾った文章に若干の修正を加えたものです。
私は、更に尾ひれが付いた話を聞いたことがあります。

【千葉県 君津】

日本武尊が妃の弟橘媛が戻ってこないので、「君居ず」と嘆き悲しんだ場所が、「君津」だそうです。

【東京 八丈島】

弟橘媛が、菅(すげ)の畳8枚、皮の畳8枚、絹の畳8枚を波の上に敷いて、との上に乗り舞を踊り荒波を鎮めましたが、畳8枚が流れ着いた所が八畳島(「八丈島」)だそうです。
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