世界の旬な出来事を語り、NK225と市場動向を午後3時過ぎ発表。
某IT企業の経営者である友人の「中国旅行記」、第3回目は西安(続)、「万里の長城」「秦の始皇帝」の話でワクワクします。  15日は、『兵馬俑・銅馬車:世界文化遺産』『始皇帝陵:世界文化遺産』『華清池・華清宮』を観光しました。 いよいよ秦の始皇帝の世界です。 秦の始皇帝は、BC221年に13歳で即位し、すぐに「始皇帝陵」建設に着手しています。
秦が中国を統一できた理由の一つに武器を鉄製にしたことが上げられます。 統治に成功した理由としては、宰相李斯の進言により、各国でバラバラであった漢字を統一し、度量衡・貨幣を統一し、道路を舗装し、車幅を統一したことなど上げられます。 中国にとって北の敵は常に怖いもので北狄と言われて来ました。(ガイドのTさんは、現在はプーチンのロシアが一番怖いと言っていました)。 始皇帝が行ったことは北の敵に備えた「万里の長城」の整備です。

始皇帝の暗陰の部分は、李斯の進言に依ったものといわれていますが、儒者たちの書物を焼き払う「焚書」や、儒生ら多数を咸陽で生き埋めにした「坑儒」、秦滅亡の際、項羽により焼き払われ、煙火が3ヶ月に及んだといわれる14平方キロメートルに及ぶ阿房宮(あまりに非常識的にでかい宮殿だったのでアホの語源になったとう説もある)建設などが挙げられそうです。
 
始皇帝稜は36年を掛けて建造され、70万人の罪人を含め多くの庶民を徴用し、応じない庶民への処罰はきわめて厳格でした。 万里の長城建設、舗装道路整備でも同じでした。 非情な暴君として、殷の紂王と夏の桀王に並び称されている理由はこの暗陰の部分にあります。

『兵馬俑・銅馬車:世界文化遺産』『始皇帝陵:世界文化遺産』は、想像を絶する規模で、圧倒されます。 ともかくすごいという感じです。筆舌には尽くしがたく、このときの印象は言葉にならず、文章化も不可能です。

この日の夜は、陝西省歌舞大劇院で西安歌舞ショーを観賞しました。 中国は、隋、唐、宋、明、清などこの1000年あまり北京が首都ですが、それ以前の2000年以上は西安が首都であり、西安歌舞ショーはこの古代王朝をテーマとしていました。

『華清池』は西安から東に30キロ離れた秦嶺山脈の麓にあります。唐の玄宗皇帝が8世紀半ばにこの温泉地に造営した本格的な宮殿式建物が『華清宮』です。 玄宗は毎年秋から翌年春まで楊貴妃と共に『華清宮』に住み、温泉に入り、歌舞を観賞し、歓楽の日々を送ったそうです。 

『華清宮』には玄宗と楊貴妃のための蓮花湯と海棠湯という専用浴室、玄宗と楊貴妃が泊まった飛霜殿などを見ることができました。 唐代の有名な詩人白楽天(白居易)は、玄宗と楊貴妃の『華清宮』におけるロマンスを素材にして長編の叙事詩「長恨歌」を作っています。

(白楽天は,日本人阿倍仲麻呂と親しく付き合った人で、阿倍仲麻呂が一旦帰国の途につきますが、途中台風に見舞われ死亡説が流れたことがあります。 白楽天はそれを悲しみ「哭晁衡詩(こくちょうこうし)」を詠っています。 結局阿倍仲麻呂は再び長安(西安)に戻り53年間中国で暮らし死去しています。)

また、1936年12月には、毛沢東が周恩来を西安に派遣し、蒋介石と交渉した結果第二次「国共合作」が実現していますが、この舞台も『華清宮』です。  次回の第4話は、いよいよ敦煌です。

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